有田屋に
ついて

「自然のままに」
それが有田屋の
心です。

江戸時代,中山道の宿場町として栄え、山紫水明の郷として知られる上州安中。美しい山々と清らかな水が流れる川が私たちにもたらしてくれたのは、醤油づくりに適した上州の豊かな風土と天の恵みでした。

有田屋は、天保三年(1832年)、上州安中の地に創業いたしました。以来180余年もの間、昔ながらの天然醸造の製法にこだわった醤油を作り続けています。語り継がれる味、そして語り継がれてゆく味。伝統の味を守りつつ新しい試みを繰り返しながら、「ありのまま」の醤油の味わいを今に伝えています。

日本人の心の味、醤油の真の味わいを守ってゆきたいと願って、今日も努力を重ねています。

有田屋 当主

有田屋の歴史

城下町安中でかっては安中藩の御用商人として有田屋は天保3年(1832年)より170年の永きに亘り、味噌、醤油の醸造をその生業としてきた。この中山道沿いの有田屋の湯浅一族は、本業の醸造業だけでなく、明治、大正、昭和の三代に亘って、日本の教育、社会、文化に貢献した多数の人物を輩出したことでも知られる。

  • 湯浅治郎
  • 湯浅半月
  • 湯浅一朗
  • 湯浅八郎

三代目治郎(1850~1932)は第2代県会議長に推され、そのときの廃娼条例成立により群馬県をしてわが国はじめての廃娼県せしめた功労者の一人である。また、治郎は新島襄に師事し、キリスト教の洗礼をうけて安中教会の建設や新島なき後の同志社英学校の運営に尽くした。

また、安中で日本最初の図書館、便覧社(図書3,000冊)を設立したことでも知られる。治郎の弟、半月(吉郎)は詩人として知られ、同志社卒業時に発表した「12の石塚」は我が国最初の新体詩集として知られている。半月は後に同志社教授、京都府立図書館長を勤めた。また、治郎の後妻初子は徳富蘇峰、蘆花の姉である。

治郎の長男一郎(1868~1931)は洋画を志し、黒田清輝に師事した後、二科会の創立に参加、洋画家として名を成した。治郎の次男三郎(1877~1945)は同志社に学んだ後、四代目として家業を継ぎ、25年間安中の町長や県会議員をつとめた。その弟八郎は昭和9年同志社の総長となるが、建学の自由、自治を守る為、軍部と衝突、総長を辞任。しかし、戦後再び総長に復帰し、昭和28年には国際基督教大学初代学長に就任した。

  • 湯浅正次

また、五代目正次(1911~)も昭和46年より5期20年安中市長を努め、一方新島襄を記念して昭和22年、同士とともに新島学園(中学、後に高校、女子短大)を創立した。質実剛健とキリスト教の精神に支えられた湯浅家の有田屋は、当主太郎(1936~)で六代目を数えるが、その醤油は昔ながらの天然醸造の製法に頑なまでにこだわり続けている。

そして今、醤油も味噌も大量生産一速醸の時代にあって、天然醸造のもろみを2年じっくり寝かせた最高級醤油「丸大豆仕込み天然醸造」、さらにそれに糀を加え1年以上発酵熟成させた「さいしこみ」を守り続けている。製造責任者の萩原は云う。「子供の時に食べていた手作り醤油の味が忘れられません。でもなかなかそこまで辿り着きません。」大豆と小麦と塩と水、そして酵母や乳酸菌といった微生物の働きを見守りながら170年間かっての湯浅家の家人がそうであったように、真摯な醸造の作業はこれからも毎日続いて行くであろう。

アクセス

お車でお越しの方は、有田屋専用駐車場をご利用ください。店舗の向かい側にございます。
電車でお越しの方は、JR信越線・安中駅下車、タクシーで5分

群馬県安中市安中2-4-24
TEL. 027-382-2121
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